
山田詠美様の小説『無銭優雅』を読んだ感想です。
何かの参考にでもなれば幸いですー
ちなみに公式のざっくりあらすじです(↓)
友人と花屋を経営する斎藤慈雨と、古い日本家屋にひとり棲みの予備校講師・北村栄。
お金をかけなくとも、二人で共有する時間は、”世にも簡素な天国”になる。
「心中する前の心持ちで、つき合っていかないか?」。
人生の後半に始めた恋に勤しむ二人は今、死という代物に、世界で一番身勝手な価値観を与えている――。
恋愛小説の新たなる金字塔!
文庫本より
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山田詠美『無銭優雅』感想
※ズバリのネタバレはありませんが、なとなく作品の雰囲気が伝わるくらいのネタバレはあります
私の感想
山田詠美さんの『無銭優雅』、私個人の感想です。
中年カップルの甘くて苦い恋愛が、山田詠美様の素晴らしい感性で描かれていました。
表現が素晴らしいのはもちろんのこと、ストーリーも面白いし、出来事によってあぶり出される価値観も深かったです。
恋愛したい、恋愛の気分を味わいたいという中年女性にめちゃめちゃいいと思いました。
主人公の慈雨(じう)ちゃんは42歳、バツなし独身、実家暮らし。
彼氏の栄(さかえ)くんは45歳、バツあり独身、一人暮らし。
2人のラブラブバカップルっぷりがたまりません。
ちゃんと年を重ねた大人で、粋も甘いもいろんなことを理解して、経験した上でのあえてのバカップルです。
慈雨ちゃんも栄くんも、美男美女ではなく、地位もお金もなく、欠点だらけだけど、かけがえのない2人という感じで眩しかったです。
中年以降はこんな恋愛がいいなと憧れました。
中年の恋愛イメトレ小説として最適だと思いました!!!!!
ネットの感想
山田詠美さんの『無銭優雅』、ネットの感想です。
淡々とした描写が、時に、山田氏の独り言?漫談?っぽくって、どんどんと「オトコイ」をグレードアップさせている。
Amazonレビューより
40代男女のラブストーリー。
二人は、非常に羨ましい関係だ。やはり、男の女々しさは(その種類によるのであるが)「イロコイ」に必要なツールのひとつでしょう。
そして、移動範囲が限られているという山田氏のにくいテクニックで、二人の行動範囲が狭められ、どんどん深まっていく二人の密度。
なのに、全然嫌味でないのは、「独身貴族」と呼ぶに相応しい二人だから。
決して裕福ではない「小市民」を自認している人たちの恋。
理不尽や妥協とも添い寝できる年代の恋だから、今再びの情熱なのでしょう。
恥も外聞も関係なく自分をさらけ出せて、尚且つ心地よい「居場所」と感じ合えるって、そこまで辿り着けるのは、やはり「運命」ですか?!
「好き」という感情だけでは恋愛は成り立たないと、切ないことだけど、そう感じてました。
しかし、最後に残るのは「好き」の気持ちだけ。シンプル イズ ベスト!!!
こんな恋愛が出来るのは、お互いが、シンプルだからなのですね。
相手への敬意しかり、少しの配慮しかり、ありったけの愛情表現しかり。
傷つくことを怖れ、駆け引きしていては、いけましぇ〜んですね。。。
後半、主人公の父の死や、彼の過去やらが、最後にどぅおーっと押し寄せ、悲しみ、苦しみと向き合い、「やっぱり私にはこの人が一番」とのエンドに酔わされました。
今の山田詠美が書くから真実味が増します。人は歳を重ねるにつれ、シンプルになり、自分自身の真実に近づけると思うから。
ほんの小さなことに幸福を感じれる人が幸福なんだなあと、改めて思いました。
文章がどうのこうのというよりも、大きなテーマとして本当に優雅な気持ちになりました。この装丁は秀逸で、小説の中身と連動していると思います。
泣けちゃいます。
Amazonレビューより
Amyさんの小説は大好きなんですが、いつもの感じと少し違って新鮮な気持になりました。主人公と年齢的に近いせいか?!親近感が湧いて、一気に読んでしまいました。面白かったです。
楽天ブックスレビューより
久しぶりに読み返した本。
楽天ブックスレビューより
ほっこりとした恋愛小説ですが
主人公の年齢が今の自分と同年代なこともあり、父の死のエピソードなど最後はホロリとさせられた。
四文字熟語とか、丁寧に言葉を選んでいる感じも◎
山田詠美『無銭優雅』心打たれた表現
『無銭優雅』はとにかく、山田詠美様の表現や感性がえぐいです!!!!
心打たれます、痺れます。
以下、引用抜粋で一部を紹介します(↓)
好きな男に見下されるのを心地良いと感じる時、恋しているんだなあ、と思う。
自分の世界を大事にしないって美しい気がする。こだわり、なんてものを魅力のひとつだと思っているその辺の男とは次元が違う。
たいしたことない世界。それは、どれ程生きるのを楽にすることか。
使えないもの持ってるって贅沢じゃないか。
大人になると、運命と成り行きって、ものすごく似てる気がしちゃうのだ。そして、運命に身をまかせるよりも、成り行きに身をまかせる方が、上等な所作のように思える。自分をないがしろに、あえてしてみよう、謙譲の美徳。
人の考える頼り甲斐と、私にとってのそれは決定的に違っているのだ。体が大きいことや経済力があることなどに安心を感じるなんて有り得ない。それは、ただの便利だろう。たとえば、私の伝えようとする言葉を正確に受け取ってくれる人に出会った時。頼りになるなあ、と目頭が熱くなる。大袈裟みたいだけど、でも、ほんと。そういう瞬間、自分でも驚くほど、口数は多くなる。
私が寂しいと本当に感じるのは、にこやかに、通じない言葉で人と関わり合うことだ。最大公約数みたいな語彙で、周囲と意志の疎通を図らなくてはいけない場面に遭遇すると、そこはかとなく惨めな気持ちになってしまうのだ。
我ながら不器用だなあ、と思う。不器用を褒め言葉としてくれるのは、関係が上手く行っている時の恋人だけである。
意味のないいばりんぼって、いばってないのと同じことだからいいと思うの。
あったかい手っていうのは、下世話な手のことだよ。
片思いの出来ない女。それが私だ。
この世の中には、人の数だけ主流があるんです。
若いって物知らずってことなんだな、というこちらの落胆と、年上って古いってことなんだな、というあちらの失望が一致した時に、どちらからともなく関係の解消を提案した。
はげの魅力が解んない内は、まだまだ子供だね。
若く愚かだった頃、いや、今でも充分に愚かなのだが、それよりもずうっと愚かだった頃、年配の女性を見て、あんなふうに年を取りたくないもんだ、とちょっぴり人を蔑んだことが、私にもあった。
相手が変われば、それはいつも初恋だって。
経験は人を学ばせるけれども、強くはさせない。強がる術を身に付けさせるだけ。むしろ、どんどん、私は臆病者になって行っている。怖いものなしだった頃が懐かしい。けれど、もう戻れないし、戻りたくない。臆病者であるのを自覚するからこそ、失いたくないものへの強烈な欲望に身をゆだねることが出来る。経験が仕立て上げた贅沢な臆病者。
世間、気にしても、誰も、褒美、くれねえし。
必要以上のお金を持たないことが、その人の魅力の一部になっている、そんな男って、いるものだ。
そう、私は、恋の駆け引きとは無縁の女。好きだから、好きになってくれたから、つき合う。それだけ。ヴェリィ シンプル。
御行儀の良い恋愛が退屈だってこと、もう、とっくに知っている。
良い子は、子供だけの特権だ。そして、無作法は、大人だけに許された特許だ。
お互いしか見えない恋以外なんて恋とは呼ばない。そういう恋とは呼べないつき合いもまた楽し、と昔は感じたものであるが、この期に及んで、その薄さを享受する余裕はない。集中こそ、色恋の醍醐味。
大人になると夏休みの記憶は感傷の宝庫だものね。プールから帰って来て、畳でお昼寝しながら聞いたちりんちりんって音、あの頃は何も感じなかったのに、今は思い出の御馳走くらいに格上げされてる。
こちらの都合の良さとあちらの都合の良さが合致してこそ、恋は、発展をみるのである。
人のために自分を差し置くのを信条とするような出来の良い人間には、永遠になれないと思っていた。でも、ようやく解ったの。自分のためにも、そうしてくれる人のためになら、いともたやすく、一歩下がることが出来るんだって。
四十過ぎの女は枯れ始めるなんて、嘘。その証拠が私なのである。栄とするのが楽しくて仕方ない。それは、たぶん、彼がおだて上手だからだと思う。そのおだて方は、よその男たちが若い女の体を誉めるような当り前のものではないのだ。私が私であるという証拠を見つけて、そこを誉めてくれるのだ。
自暴自棄って若者だけの特権だよ。
若者の諦めは不甲斐ないものですが、年寄の諦めは美学にも通じていますの。
好きな詩人は、いつだってその人の知り合いだと思うよ。
そういや、上手く行ってる夫婦って、どこも、そっくりだ。
二人共、年を取りそこねてる感じがした。ちょっと、羨ましかった。この年齢で、現実に噛み付かれてないたたずまい保つのって、技がいるものね。
咀嚼した膨大な書物を、実生活で使いこなして来た人の顔だ。
どっちかが死んだ時点で、心中と一緒だよ。心は、きっと後追い自殺する。だから、それまでは、ずっと、心中までの道行き。
仏さんを恐くないと感じる時、人は、その人を愛しているのだと理解した。
今回のまとめ
以上、山田詠美『無銭優雅』の感想をまとめました。
中年恋愛バイブルです。

『無銭優雅』、最高♪